思考錯誤録

頭でっかちな人間の見た景色

【感想】【演劇】演劇集団キャラメルボックス スロウハイツの神様

舞台 スロウハイツの神様
演劇集団キャラメルボックス
@3/28 池袋サンシャイン劇場

原作 辻村深月 脚本 成井豊


作家や芸術家のたまごが集まるアパート、スロウハイツの大家で脚本家の赤羽環、過去に自作を模倣した殺人事件が起こり、一度は執筆できなくなったが再起し人気漫画の原作者をしている千代田公輝、そしてスロウハイツの仲間たちの物語。


ネタバレできないので、印象に残ったセリフから。


「チヨダ・コーキはいつか抜ける」

チヨダ・コーキの作品は、中高生には絶大な人気を誇るが、社会に出て色々な経験をした大人の鑑賞に耐えるものではない。だから、大人が彼を語るときは、常に好き「だった」という過去形なのだ。

と語られる。

そして、彼自身もそのことを知っていて、それは自分に何もない空っぽな人間だからだと思っている。

先生という仕事も、多かれ少なかれ似たようなところがあるなあと、思った。もちろん自分の場合は絶大な支持なんかないから、何兆分の一みたいな劣化版だが。

関わっている間は、全力で、出来る限りのことをするけれど、いつか「抜ける」。小説や漫画よりも、明確に期間を区切って。

だから、抜けそうだなってときにいっそ突き放すくらいじゃないと本当はいけないんだろうなあ。

それがちゃんとできなくて、ぐるぐる回って迷惑をかけている。



「世界と繋がりたいのなら、自分の力でそれを実現させなさい」

わかる。そうだよね!って思った言葉。

この1年、とにかく自分の考えていることを言葉にしてきた。ときには、歌にしてみた。それが成功しているとは思えないけれど、それでも、自分の力でやらないといけないのだ。

だから、ツイッターのパクツイだったり、それをさらに転用してLINEのタイムラインに上げてたり、〇〇な人はいいね、みたいな内容のないスタンプ稼ぎは、それで何が満たされるんだろう、って思う。

それで、世界と繋がっているつもり?って思う。

誰とでも、どんなとっかかりでもいいから、繋がっていたい。そのために、必死にもがいている。