思考錯誤録

頭でっかちな人間の見た景色

「麒麟がくる」が来た。⑤斎藤利政vs反齋藤連合、加納口の戦い

⑤斎藤利政vs反齋藤連合、加納口の戦い

頼純は母の実家越前の朝倉へ、頼芸、頼次親子は尾張の織田の元へ追放され、崖っぷちの土岐家。

1544年に土岐、朝倉、織田、しれっと混ざる近江の六角の連合軍で美濃攻めを行う。

ここまではいいのだが、ここから先の展開には色々な説があるらしい。

1544年または1547年に加納口の戦いという大きな戦いがあり、どちらの年に起こったかで流れが変わる。

先に加納口の戦いを説明しておくと、これが先日麒麟本編の第2話で描かれた戦いで、稲葉山城下を織田信秀率いる織田軍が攻め込むが、返り討ちに遭い大敗を喫するというもの。
(市街戦でなかなか見応えがあるので、まだ見ていない方は土曜日の再放送をぜひ見てほしい!)

この戦いのことを伝えた書簡が残っており、そこで織田軍は残り数人まで減って逃げ帰ったと伝えられている。

その書状を出したのは斎藤家の家臣長井秀元。斎藤側の人間の言うことなのでまあ数人というのはかなり盛っていると思われる。

この長井さんが、小守護代の長井家と関係あるかはわからないが、長井秀元は脇役で「麒麟がくる」にもちゃんと登場していた。


◯加納口の戦い1544年説(大河ドラマじゃない方)
美濃攻めの中で加納口の戦いが起こるパターン。
美濃攻め→加納口の戦いで織田軍大敗→一時撤退。
頼純は大桑城に、頼芸は揖斐北方城(大桑城よりだいぶ西の山奥)へ。
1546年に斎藤と連合軍が和睦する。

利政の娘の帰蝶は、この時に頼純に嫁いだと考えられる。

ここでも枝分かれがあり、
頼芸が守護を降りて頼純に代わる説
結局守護は頼芸のまま変わらない説
がある。

そして、1547年に土岐頼純が死ぬ。

◯加納口の戦い1547年説(大河ドラマの方)
加納口の戦いがまだ起きないだけで、流れはほぼ一緒。
美濃攻め→結局うまくいかず撤退。
頼純は大桑城に、頼芸は揖斐北方城(大桑城よりだいぶ西の山奥)へ。
1546年に斎藤と連合軍が和睦する。
利政の娘の帰蝶は、この時に頼純に嫁いだと考えられる。

守護がどちらかの枝分かれも同様。

1547年、加納口の戦い。頼純が織田に通じての戦いか。
同じ年に頼純が死ぬ。


どちらの説でも頼純と帰蝶は結婚していて、最終的に守護は頼芸になる。

本編では次の第3話がここ(1547)から始まるということで、ようやく話がまとまる。

この先の見どころというか流れとしては、
帰蝶と信長の結婚、斎藤・織田の同盟(1548or49)
・頼芸を追放して完全に美濃を平定(1552)
・利政、出家して道三になる(1554)
・道三vs義龍、親子対決長良川の戦い(1556)
が挙げられる。詳しいことは敢えて調べず、ドラマを先に観てから調べることにしようと思う。

明智光秀はそもそも若い頃のことは史料にほぼ残っていないようなので、本格的な活躍はしばらく後になるだろう。

桶狭間は1560、長篠は1575、本能寺は1582なのでまだまだ先は長い。

というわけで美濃予習編終わりー!
やるとしたら、次は足利将軍家周りをやると思います。