【感想】ごろごろ、神戸。 平民金子
「神戸、どうなるんかね。良くなってほしいね、と思う。」
年末年始に休めなかった分の休暇を取り、神戸に帰った。
書店の店頭に平積みされた「ごろごろ、神戸。」。今回の帰省では、この本がいつも手元にあった。
大阪出身で色々な場所を転々として暮らし、またそういう生き方を選んできた筆者が、子どもの誕生を機に移り住んだのが神戸だった。
筆者は、地元民とよそ者両方の目線で神戸の街を見ている。
失われていく商店街や市場、古き良き時代の空気を残した隠れ憩いスポットを生活の背景において暮らし、その風景を愛し、時に讃えつつも、積み重ねられた歴史を知らない筆者自身は単にその結果だけを借り物として消費しているだけである、という具合に。
しかしそれでもこの本のあちこちに、この神戸に根を下ろし生きてきた人々、あるいは動物たちの姿がイキイキと伝えられていて、そこには決して上辺だけではない愛情をしっかりと感じ取ることができた。
また、この本は18歳まで神戸で暮らしていた自分にも知らない神戸の横顔を教えてくれた。この本と一緒に歩き、たくさんの「初めて」とともに神戸での新しい記憶がつくられていった。
面白いところだな、と思った商店街が、実は近所に住んでいた子ども時代の母が出入りしていた場所だったり、実家から徒歩4時間で登って行ける山から見た景色がとても美しかったり、行ってみた市場が3月には閉じられてしまうと後から知ったり。
新しい神戸と出会うたびに、まだまだこんなに知らない場所があったのかという嬉しさも感じたし、暮らしていた頃に気付けなかったことへの悔しさも感じた。
その一方で、祖父の馴染みの串カツ屋、大伯母といつも行く喫茶店、その帰りに必ず寄って帰るパン屋、いつもの場所を少し誇らしく思ったしもっと大事にしたいと思った。
いつが「最後の…」になるかは、誰にも分からないから。
今度神戸に帰ったら、須磨浦山上遊園でのんびり読書しようと思っている。
「ごろごろ、神戸。」 平民金子 2019年