思考錯誤録

頭でっかちな人間の見た景色

「麒麟がくる」が来た。④「長井規秀」から「斎藤利政」へ、そして暗躍

④「長井規秀」から「斎藤利政」へ、そして暗躍

1530〜33年にかけて、長井長弘を殺して長井規秀(のりひで)となったのちの斎藤道三。じわじわと勢力を伸ばしている。
その一方、終わらない土岐氏の争い。

美濃国は、土岐頼武と頼芸(よりのり)の終わらない兄弟喧嘩に振り回されている。

というのが前回のあらすじ。

1530年ごろでの美濃の体制を整理しておこう。

守護は土岐頼武。しかし、現在越前に追放中。リベンジの機会を伺う。
その弟が頼芸。兄を追いやり土岐氏の当主だが、まだ守護にはなっていない。

守護代は斎藤利茂。影が薄い。

守護代だった長井長弘がいなくなり、実質小守護代は長井規秀。

この体制がしばらく続くが、また事態が動き出す。

1535年、朝倉の援助で頼武と子どもの頼純(よりずみ。本編第2話で毒殺されてた人)が、稲葉山城の北の山奥、大桑(おおが)城に入りめでたく美濃に復帰。

さらにこの年は土岐兄弟の父にして兄弟喧嘩の火種を作った土岐政房の17回忌にあたり、当主の頼芸は法事を行なって自分の正当性の主張した。

これに大桑城の親子がキレて戦闘に。朝倉や六角も巻き込んで頼芸を攻めた。
このあたりで徐々に頼純に代替わりしていると思われる。

が、頼武親子が形勢逆転するには至らず、次の年には幕府から頼芸が正式に美濃守護に任じられる。

さらに頼芸は六角氏から嫁をもらって六角氏と和睦し、戦乱はだいたいおさまる。

1539年には頼純と和議が成立し、これにて土岐氏の内輪もめは一旦落ち着く。

それでも平和にならない美濃国
なぜなら、美濃には長井規秀がいるから。

1538年、先代の守護代だった斎藤利良(としなが)が亡くなり、規秀は斎藤の名を継いで斎藤利政(としまさ)となる。ついに斎藤家に入り込むことに成功したのだ!

ただし、守護代は斎藤利茂(とししげ)で、系図を見て貰えばわかるのだが、彼は利良とは別系統のため、守護代になったわけではないようだ。

そして、土岐家が落ち着いたところでいよいよ動き出す。

1541年、利政は頼武・頼芸兄弟のさらに下の弟である土岐頼満を殺す(どうやってかはわからん)
これをきっかけに土岐氏と険悪になっていく。

さらに1542年から43年にかけて、頼純のいる大桑城を攻め、頼純を再び朝倉の越前に追いやる。

とどめに同じ年、守護である頼芸と子の頼次を親子まとめて尾張に追放。やりたい放題である。
尾張といえば織田家。ここから織田家も絡んでくるよ。

影の薄い守護代斎藤利茂も、いつのまにか居なくなっていた(詳細不明)

長井を絶やし、斎藤になり、土岐を追放。
このとき、ついに斎藤利政は美濃の実質的な頂点に立つ。

黙っていないのは追放された土岐一族。頼芸と頼純、その背後の越前・朝倉と尾張・織田が手を組み、反撃に出る。

美濃の覇権争いも最終局面に入る。

いい感じのところで次回へ続く!
(「麒麟がくる」本編(1547年〜)にほぼ追いついた!)

※このあと起こる戦いの時期にはふたつの説があり、一方は大河ドラマで採用されたもの、もう一方はそれより早く本編と矛盾が生じるので、一旦仕切り直します