思考錯誤録

頭でっかちな人間の見た景色

【感想】【演劇】【自分語り】劇団アオイミナトマチ×劇団EnTRoPy 「ナスタチウム」

劇団アオイミナトマチ×劇団EnTRoPy
ナスタチウム

三日前、町を歩いていて、あるポスターが目に入った。 そこには、神戸の街並みと青い空が大きく描かれていた。よく見ると、神戸の風景は上半分で、下半分にはそれと鏡になる形で、逆さまに夜の東京の風景が描かれている。

何かと思って文字を見ると、それは全く知らない劇団の公演ポスターだった。ポスターを貼っている建物は、小劇場だったのだ。

しばらくそのポスターを眺めていると、劇団の人が出てきて、よかったら、とポスターと同じ絵のチラシをくれた。それがこの作品との出会いである。

そして、昨日、その公演を観てきた。

大学進学とともに上京したが、卒業と同時に神戸に帰ってきた女
要領よく生きるのには神戸で暮らし続けるのがいちばん、と考える妹
自分が生きる場所は東京だと信じ、上京してバンド活動を続ける従姉妹
東京が地元で、東京から出ることはないだろうと考えている大学の友人
上京したいと言う気持ちを持っていたが、神戸で暮らし続けている幼馴染の男
の5人のお話。

役柄を並べてみると、東京と地方の間で揺れる人々の大体のパターンがカバーされている。

簡単にいうと、神戸に帰ってきた主人公が、周りの人々と関わりながら、自分がどこでどんな風に暮らしていくのかを見つめ直す話だ。

地元が神戸であることを含めて、主人公の境遇が自分とあまりに似ていることに驚いた。

大学で上京し、いったん就職はしたもののこの春退職。おかげさまで縁あって今も仕事は途切れず続いているが、3月の最終週までは4月からの仕事は全くの白紙だった。そして、地方に出る、もしくは神戸に帰る、と東京から離れることを真剣に考えていたのだ。

主人公は大学卒業を前にして、友人に「一生東京だと思うと、神戸に戻りたくなる」と話す。

教員採用試験を受けるとき、同じことを考えた。
このまま東京で採用されたら、しばらくは東京で働くことになる。神戸に戻るとしたら、今がチャンスではないか?

結局、教員免許を取る前からすでに大学のサークルでのボランティア小学校でのアルバイトを続け、行った先の学校の先生や子どもたちとのつながりが少しずつできつつあったこともあり、東京で採用試験を受けた。正規採用で合格するまで3年かかった。

(2年目で「期限付」で合格し、次の4月から担任をもつことになったが、あくまで1年限定なので、夏に面接の試験をもう一度受けた。)

教員になってからのたくさんの出会いを考えると、この選択が100%間違っていなかったということは断言できる。

だからといって、神戸に対して未練が全くないと言うわけではない。それが人の難しいところ。

18歳まで育った街。山があって海がある。ハーバーランド、センター街、元町高架下。中高時代毎日のように寄り道して帰った。

高校の先輩後輩にも、大学で上京したが就職で関西に戻っていった人は何人もいたし、小中高の母校も神戸にある。そして、家族や親戚は父方母方両方ともほぼ全員、神戸とその周辺にいる。(だから、盆や正月に田舎へ、なんてことは一切なかった。そういう話を聞くとうらやましかったなぁ…)

だから、東京で暮らしながらも、いつかは神戸に戻りたいとぼんやり思いつづけている。それがいつなのかははっきり決めていないが。

タイミングがくれば自然とそういう流れになるのだと思っている。「もしかしたら、それが今なのかもしれない!」なんてうっかり思う瞬間もあるが、まだ気の迷い程度なので流石に今すぐにそうする予定はない。

だいぶ話が転がっていったが、地元をもちながら東京に出てきた人間にとって、やはり地元とはそういう存在なのだ。

もうひとつ、印象的だったのが「東京は、何者でなくても受け入れてくれるけれど、だから結局私は何者にもなれなかった(若干記憶があいまい)」というセリフだ。

これも、ここ最近ずっと考えていたことのヒントになる言葉だった。

自分は、求められるに足る人間なのか、何者として求められているのか?

劇場からの帰り道、ぼんやり思ったのは、「何者でもない」自分を「何者かである」ように見せることができるのが「先生」という肩書きだったのかもしれない、ということだった。

「先生」という肩書きがついている間は、どんな人であっても、その人は先生と呼ばれる。たとえ、教育実習もろくに受けずに教員免許をとり、自己流の授業しかできない若造であっても。

では、先生という肩書きをとった自分は、いったい何者なんだろうか。やはり何者でもないように思える。そう考えたとき、先生だった自分が、自分ではない別の何かだったような気がしてならなかった。

「先生」として受け入れられたとしても、それは「もりほん先生」としての幻影であって、個人としての「もりほん」が受け入れられているわけではない。仕事を辞めてから何度もそう思った。

自分でも本能的にそれが分かっていたのか、どんなに体調が悪くても、お腹が痛くても、鼻水が止まらなくても、「先生」として教室にいる間は全く気にならなくなる、ということがしばしばあった。あくまで別モードなのだ。

また、当時そういう打算の元に動いていたわけではない、ということは先にはっきりと言っておくが、地域行事に積極的に関わったり、休日にまで校庭で子どもたちと遊んでいたのは、「先生」のお面をかぶっている時間をできるだけ長く過ごすことで、何者でもない自分から目を逸らしていたかったのかもしれない。

しかし、いまやそのお面すら、自分で投げ出してしまった。足跡のない道を、なんてたいそうなことを言っているが、大元の大元まで突き詰めていけば、目の前の悩みから逃げ出しただけのことだ。子どもたちにも、保護者や地域の方にも恵まれていたし、仕事自体が嫌いなわけでもなかったのに。

あの鳥取砂丘の出来事も、その時思ったことも嘘はない。でも、迷いがなかったらそんなところで急にやめようなんて思わない。ずっとそうやって本当に受け止めないといけないことから逃げて自分を騙し続けてきた。それを、きちんと受け止めるのに半年もかかった。きちんと事実を受け入れないことには先へ進めないのに。

そんな弱っちい先生くずれが、担任として真っ正面から子どもたちと向き合い背負うことから逃げ出した弱虫が、今までの教え子や保護者の方たちに未だ「先生」であるかのように扱ってもらうのはずるくないだろうか?もはや、それは自分の精神の安定のために、相手を利用しているだけなのではないか?

「先生」としての幻影を見せる努力すらしなくなったら、もはや何者でもないのだから。

今までのつながりを大事にしたいと思いながらも距離感がつかめないでいる自分の中の迷いが、やっと言葉になった気がした。

何者でもない自分は、部屋の片付けもできないし、クリーニングに出そうと思ったものを半年も放置してしまうし、渡そうと思ったお土産をカバンに入れ忘れるミスを2回もやらかす。

そんな何者でもない自分が、お面なしでもやっていける居場所を探していくことが、何者かになるということなのかもしれない。

一生かかってもたどり着けない気もするし、たどり着いた瞬間に人としての終わりを迎えてしまうような気もする。
正解のないものを追い続ける限り、きっと迷いも続く。これからも、ずっと。


もはや劇の感想からかけ離れてしまったが、三日前の一瞬の出会いが、ここまで、自分について向き合うきっかけになるのだから、人生わからない。この出会いをきちんと拾い上げられた自分は、まだまだいけるな、とも少し思えた。

主人公は、最終的に、神戸で生きて行く決意をする。

では、果たして自分の明日はどこにあるのか。

もうしばらく迷子の時間は続きそうだが、迷子のままもう少し歩いてもいいかな、くらいには思えるようになれた夜だった。